またまた瞑想について書いてみたいと思います。
瞑想状態に入ると、思考や感情と、自分との間に、隙間ができるので、自分が感じることができるのは「感情」ではなくて、五感レベルで感知できる「感覚」だけだと、野田俊作先生は言います。
そう、今ここでは、人は何も考えることができなくなるので、そこには全く、何の問題もなくなるわけです。そうすると、何が起こるのかというと、目標追求がストップすると野田先生は言うのです。
「今ここ」では劣等感すらなくなってしまうので、目標追求が(まあ一時的にとはいえ)キャンセルされるわけです。
目標追求がなくなれば、理論上ライフスタイルは働かなくなりますから、人は、幼い頃に作り上げたその信念から解放されて、より自由な生き方・選択が可能になるんだと、野田先生は言うわけです。
ちなみに(「サピエンス全史」の著者)、ユヴァル・ノア・ハラリは、毎日欠かさず瞑想を2時間行い、毎年一回、1ヶ月から2か月は瞑想修行に出かけるんだそうです。そして、この瞑想の実践による集中力と明晰さがなければ、『サピエンス全史』も『ホモ・デウス』も書けなかっただろうと言っています。
恐縮ながら私も、ハラリにあやかって(毎朝5分という短い時間ではありますが)瞑想を行っています。でもなぜか邪念ばかりが出てきてしまい、いわゆるマインドフルな瞑想ではなくて「迷って走る」ほうの、迷走を繰り返しているわけですが…
しかし、私は懲りずにもう何年もこれを続けています。というのは、野田先生が、瞑想は「共同体感覚」を目覚めさせる効果があると、言ってるからなのです。
『グループと瞑想』という本の中で、野田先生はこんなふうに言ってます。
「アドラー自身は瞑想ということを知らなかった。だから、オーソドックスなアドラー心理学では瞑想の話は出てこない。でも、アドラーが言おうとしていた共同体感覚というのは、きっと瞑想状態のことなんだ」と。
いかがですか?この考え方をそのまま採用するのは、私もどうかと思ってますし、やはり検証が必要かと思っています。でも、今後のアドラー心理学の一つの可能性として、「今ここ」=「共同体感覚」という考え方には、どこか惹かれるものがあるんですよね。
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アドラー教育研究所